2020年11月11日水曜日

エルトゥールル号の遭難

日本とトルコの間には、温かく深い交流のドラマがあります。 

それは映画『海難1890』(2015年公開)でも描かれた、「エルトゥールル号」の事故と救命活動を通して歴史に刻まれています。 

エルトゥールル号の遭難
 

 明治23年(1890)、日本とトルコ(オスマン帝国)との友好関係を結ぶため、トルコ軍艦エルトゥールル号が日本にやって来ました。
 木造軍艦でした。 

 このころ、帝政ロシアの南下政策に悩まされていた両国にとって、お互いに特使を派遣し合うのは大きな意味がありました。
 また、オスマン帝国軍艦は地中海内海以外に出たことがなく、その権威を示す為にも極東への派遣が実行されたとも言われます。ただ、エルトゥールル号が老朽艦だったため、反対する声もあったようです。
 そのせいなのか、事故や修理のために、トルコ出港から日本まで航海に1年かかったと言います。

 ともあれ、

 日本での任務を終えて横浜を出港して帰国の途中、紀伊半島南端の大島付近で台風に襲われます。(出港前、日本側は台風の季節を心配して、出発を遅らせることを提言したといいますが、オスマン側は受け入れませんでした)
 9月16日午後8時半ごろに、樫野崎近海の岩礁に激突。船は爆発を起こして沈没してしまいました。

 このあたり、熊野灘は特に航海には危険な場所でした。

  約600人いた乗組員は、荒れ狂う暴風雨の中、真っ暗な海へ投げ出されました。

座礁するエルトゥールル号

 幸いにも海岸へ泳ぎ着いた人の中で9人が、断崖の上にある樫野崎灯台を目指して断崖をよじのぼり、助けを求めます。
 突然の出来事ながらも、灯台に詰めていた二人は懸命に治療を行い、言葉が通じない中にも国旗資料を見せることでオスマン帝国の軍人であることが分かります。

国旗を指差すトルコ軍人

  また、爆発音を聞いた村人たちが不振に思い、海岸に打ち上げられている外国人を発見し、生存者の捜索に乗り出します。

  当時、大島はわずか400戸たらずで電気も電話もない貧しい村でしたが、村民あげての救命活動が始まったのです。

 (つづく)

 (マンガは『歴史人物に学ぶ 大人になるまでに身につけたい 大切な心 第4巻』より)