「堪忍」の一句の話。
怒りの心とは、げに恐ろしいもので、路上でちょっと肩が当たったことから言い争いになり命を落としたという話もあります。
腹を立てて暴言を吐いたり、乱暴を働いた後、大体の場合は後悔しかありません。
「あの時怒っておいてよかった」という例は、ほとんど無いのではないでしょうか。
この「堪忍の一句」の話は各地にあるようで、特に参考にしたのは『譬喩尽』にある「龍渓禅師」の話です。
龍渓禅師とは江戸時代初期の人。
禅師の元で学問に励んでいた弘善という人に「秀才博識なりといえども、大道を知らない。文字言葉を離れたまっしぐらの大道の言葉を授ける」と言って禅師が告げたのが「堪忍」の言葉でした。
何かあった時は、この「堪忍」の言葉を唱えて三歩下がりなさい、と禅師は言うのです。
これを聞いた弘善は「なんだその程度、何が大道か」と心中あざけりますが、六年後実家に帰ると事件が勃発します。
妻が留守番をしているはずが、家の中にいたのは妻だけではなく、ずきんをかぶった男でした……と、この後どうなったかは、マンガを見てください。
『日本例話大全集』の中には「千両の堪忍袋」という題で、九州の話があります。
ある九州の大名が「短気の治る妙薬が欲しい」と家臣に命じて、諸国へ探しに出かけさせます。
そしてある町で見つけたのが「堪忍袋」という代物。
粗末な木綿の袋の中に「まったり、まったり」と書いた半紙が1枚入っているだけのものが、千両という高額で売られていたのです。
「いくらなんでも不埒な商売だ」と言えば「けっして高くはありません。千両はおろか、一万両でも安いと思う時があるでしょう」と返される。
しぶしぶ千両で求めて実家に戻れば、妻の隣に仲むつまじそうな男の影が……。
「おのれ!」と刀に手をかけて暴れ込もうとした瞬間、堪忍袋から「まったり、まったり」と声が聞こえてきた。
はっと気がついた彼は、一息ついて「ここは待ったり、待ったり」と冷静になり、家に入れば、その男の影は妻の父親でした。
婿の長旅に、娘一人に留守居をさせるのが不憫と思った舅だったのです。
堪忍袋を受け取った大名は「なんだこんなもの」と思ったものの、その家臣から聞いた妻と舅の話を聞くと、「なるほど、腹のたった時は、まったりまったりと思慮しなければならぬ。千両は安いものだ」と言って喜んだそうです。
さすがに千両で売った人は、ぼろ儲けだろうと思いますけどね(笑)。
ただ、ちょっとした誤解から生じた怒りの炎によって、千両よりももっと大事な妻の命を奪うところであった……怒りの心は恐ろしい、という教訓がよく分かる話です。
最近私の家では、子供に「宿題しなさい」と言ってもやらない、「ピアノの練習しようね」と言ってもやらない、「晩ご飯ですよ」と呼んでもテレビ見てて来ない、言うこと聞かない子供たちに妻が怒りのあまり怒鳴り散らす。
それを聞いた子供は、余計に腹を立てて一層親に従おうとはしない……。こんな光景がよくあります。
怒りの心にまかせて怒鳴るのは、実は簡単なこと。レベルは子供と同じ。楽な方法ではありますが、でも気持ちのいい解決にはなりません。
その怒りの心を抑えて、子供がよい方向に向かうように諭して導くことは、これはかなり難しいことだと知らされます。かなり我慢しなければなりませんから、エネルギーを使いますよね。
ですが、結果、怒りを抑えた方が、気持ちのいい結果を得ることができるものです。
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