「高島屋」と言えば、国内最大級のデパートとして有名であり、バラのイメージで高貴な雰囲気漂う百貨店ですが、最初は江戸時代に貧しい夫婦が始めた古着屋でした。
高島屋は、天保2年(1831)1月10日、京都の烏丸通松原上ル西側に誕生しました。
初代の飯田新七は享和3年(1803)の越前敦賀生まれ。10歳で京都に出て、呉服商に奉公。大津までの3里の道を、重い荷物を背負って朝早く出かけ夜遅く帰ったので、京都にいながら京都を知らなかったと言われます。
その後25歳の時、米殻商・高島屋の飯田儀兵衛が婿養子に迎え、分家という形で古着の行商を始めます。
しかし、小さな店を出したものの、資金は出店で精一杯で、並べる商品を仕入れるお金にも困る状態。
しかし、そこを乗り越えさせたのが妻の力。困る夫の姿を見て、嫁入り用の着物を差し出して「着物は四季それぞれに一着あれば間に合うし、お金ができればまたいつか買える」と商品にしたという逸話があります。
他、隣の同業者よりも朝早く起きて、一家そろって掃除に励んだので「高島屋はよく気張る」と評判を呼んだり、顧客のニーズを調べる為に街頭で聞きに回るという、現代で言うアンケートを行って商売形態を検討したり、地道ながらも確実に基盤を固めて行きます。
彼は妻と話し合って、創業の精神を四カ条にまとめました。
一、確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし
二、正札掛値なし
三、商品の良否は、明らかに之を顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず
四、顧客の待遇を平等にし、苟も貧富貴賎に依りて差等を附すべからず
特に第一の「自他の利益を図るべし」と、自分たちもお客さんも、双方が得をするような商売をしていこうと誓ったのです。
同じ頃の同業者としては、慶長16年に尾張で創業した呉服屋(現:松坂屋)が江戸に進出、1673年創業の越後屋(現:三越)、1717年創業の京都・大文字屋(現:大丸)など豪商も多く、高島屋はかなり後発と言えるでしょう。
そもそも、当時の庶民の生活は貧しく、幕府により贅沢は禁じられて新しい呉服を着る事ができず、もっぱら衣服は木綿や古着でした。
大名や富豪相手の呉服店チェーンよりも、高島屋は小規模ながら庶民を相手にじわじわと経営基盤を固めて行くことになります。
0 件のコメント:
コメントを投稿