2013年4月10日水曜日

井戸正明の石碑……石見を救った「いも代官」

 最近はバイパス道が整備されて、旧道を走る機会がめっきり減ったからか、目にすることが少なくなりました。
「井戸正明の石碑」です。
いも代官の石碑
邑南町中野の井戸正明石碑

 井戸正明とは、江戸時代の石見銀山の代官であった人。この方、何が凄いかって、享保の大飢饉により餓死者が何十万人と出た中で、石見銀山領から一人の餓死者も出さなかったと伝えられる名代官なのです。

 それを讃える石碑が、島根県内はもちろん鳥取など、総数400基を超えると言われるほど。
 島根県邑南町町内でも、果たして何十あるでしょうか。

 その井戸正明代官、享保の大飢饉の危機から一刻を争うと判断、幕府の許可を得ずに独断で銀山陣屋の米蔵を開放して飢えた農民に米を分け与え、更にこれも独断で年貢を免除したりしました。
 幕府の許可を得ずに、というところが、封建社会にあって出来ることではありません。普通なら切腹ものです。と言いますか、たぶん切腹覚悟で行った英断なのでありましょう。

 更に、やせた土地でも栽培できるサツマイモの種芋を薩摩藩から取り寄せ、石見での栽培を始めさせました。
 これは青木昆陽がサツマイモを広める前のことだったそうです。
 「いも代官」と呼ばれる所以がここにあります。

井戸正明の石碑
邑南町矢上の石碑

 この石見国の恩人、井戸正明の功績を讃え、彼の死後、各地に芋塚と呼ばれる石碑が建てられました。
 そこには100年以上の隔たりがあり、明治や大正になって建てられたものもあります。何でしょうね、明治の政治家を平成の世になって讃えて石碑を建てるようなものでしょうか。おそらくは「いも代官のような治政を求む」という政治的意味もあったことでしょう。

 ですが、サツマイモを食べる時に思い起こすのです。
 このイモで多くの人命を、自分の命と引き換えにする決意で守った代官がいたことを。


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