2013年9月24日火曜日

『鉢木』「いざ鎌倉」の北条時頼廻国説話

 鎌倉武士の心意気「いざ鎌倉」を描いた『鉢木』は、浄瑠璃や歌舞伎だけでなく、戦前の教科書にも掲載されていた程、よく知られた話だったようです。
 最近はどうでしょうか。

『鉢木』と「いざ鎌倉」

 結局この話の本来のテーマは「忠義」なので、戦前教育には都合がよかったのでしょう。マンガではそのあたり、視点を変えて描いています。

「いざ鎌倉」マンガ

 さて、この話が実際にあったのかどうか……正直、伝説の域に入っていると思われますが、『鉢木』にまつわる場所が佐野以外にも存在致します。
 というのも、佐野源左衛門は北条時頼である旅の僧に「梅、桜、松」三鉢の盆栽で薪を作りねぎらいます。
 その後、時頼はこの礼として源左衛門に、三鉢にちなんで「加賀国梅田庄」「越中国桜井庄」「上野国松井田庄」の領土を与えたことになっています。庄名が「梅、桜、松」とシャレていて出来過ぎなのですが、この三カ所には、それぞれ鉢木に関する石碑が建っているそうです。
 例えば「越中国桜井庄」は現在の富山県黒部市にあった地名。県立桜井高校など今でもその名は残り、佐野源左衛門の話が伝えられています。


 それにしても、幕府の最高権力者が大雪の日に、田舎をふらふらと歩いているものなのか。『鉢木』の話を聞いた人から、実際に質問されました。

 この執権・北条時頼は善政を敷いた名君と言われ、特に農民など庶民を救済したことから、諸国を巡った伝説が生まれたようです。
 つまり『水戸黄門』ドラマみたいなものです。
 やはり実際に庶民の暮らしを直接見ないことには、世にはびこる悪を正すことはできない、ということなのでしょうね。

 この北条時頼廻国説話は『太平記』や『増鏡』にあるようですが、時頼は30歳の若さにして病気を理由に執権を退き出家します。
 嫡男時宗がまだ幼少だったことから、その代官として一族の北条長時に執権を譲ったのですが、実際はその後も院政のような形で政治の実権を握り続けました。
 それは時頼が三十七歳で亡くなるまで続きましたが、執権時代のしがらみから逃れられたことは事実です。
 そんな立場になったことも、廻国伝説が生まれた一つのきっかけだったのかもしれません。


0 件のコメント:

コメントを投稿