2014年1月29日水曜日

【二宮金次郎(1)】勤勉の姿と、若き苦難の日々。そして桜町領〜

 薪を背負って、本を読みながら歩く姿と言えば二宮金次郎ですね。
二宮尊徳

 小学校にある銅像と言えば金次郎と言われるほどでしたが、最近はその数を減らしてきているようです。
「寸暇を惜しんで勉強した」象徴なのですが、斜めから見ると「戦前思想の押しつけだ」だの「子供に労働させている」だの「歩きながらの読書は危ない」といった意見もあるようで。

 確かに、現代的に言えば、携帯やスマホを見ながら歩いている姿になるのでしょう。スマホ見ながら歩く「ながら」は禁止する傾向にありますし、実際、スマホを見ながら歩いていた青年が踏切に気がつかず電車に敷かれて死亡した例もあります。
 ……そう、本やスマホ見ながら歩いては危険ですので、やめましょう。 


 それはさておき、二宮金次郎こと二宮尊徳の物語なのですが、子供時代のことを相当短縮してしまいましたので、ここで補記したいと思います。

二宮金次郎 マンガ


 二宮尊徳は、天明7年(1787)相模国、今の神奈川県小田原市栢山に百姓の子として生まれました。
 父親の利右衛門はかなりいい人で、知人からの懇願に応じて素直にお金を貸すなどしていましたが、悪い言い方をすればかなりのお人好し。それが仇となって、次第に二宮家は貧しくなります。
 更に金次郎5歳の時、酒匂川の洪水により二宮家の田畑は流失し、貧困のどん底に陥ります。

 病気がちの父親を助ける為に、金次郎は堤防工事に働きに出ます。しかし10歳そこそこの子供が工事の役に立つ訳もなく、金次郎はかわりに草鞋を作って村人に提供したといいます。
 また、働いて得た二百文の金で、ある老人から売れ残りの松の苗を買い取り、それを堤防に植えました。
 その松は今でも酒匂川の並木として残っているのですが、堤防に張った松の根っこでより丈夫になったそうです。

  必死に働く金次郎ですが、14歳の時に父・利右衛門が亡くなり、その2年後には母も他界。貧しさの原因の一つは、父親の無学にあると悟ったことが、後に彼を勤勉の象徴にのし挙げる原動力になったとも言われます。  

 父母を亡くした金次郎は伯父・万兵衛に、弟二人は母の実家に預けられます。
 金次郎は伯父の家で必死に働く傍ら、寸暇を惜しんで勉学に励みました。
 そんな姿を伯父・万兵衛はよく思わなかったようで「灯火の油がもったいない。農業に勉学などいらぬ」と叱りつけます。
 それでもめげない金次郎は、自分で菜種を植え育て油を得て、伯父の部屋に光が漏れないようにと行灯に服をかぶせ、隠れるように勉強を続けたと言われます。

 更に、捨て苗を拾い集めて川土手の荒れ地に田を設けて育て、1俵余りの米を収穫しました。これを「積小為大の発見」と言われ、金次郎は農業の面白さを知らされるのです。

 益々必死に働く金次郎は、荒れ果てた二宮家の田畑を少しずつ買い戻し、20歳にして生家の再興を果たしました。

 その後も少しずつ広げた田畑は小作に出して収入を得て、地主の地位を得ます。
 金次郎は相当しっかりした体格であったと伝えられ、だからこそこれだけの働きができたとも言えるのでしょう。
 しかし、すぐに年貢がかからない新田開墾に力を入れ、土地を得れば小作に出し、自分は武家奉公に出て収入を得、お金が貯まれば貸金にするという、やりくり上手でもありました。
 勤勉によって得た知恵からくるものでありましょう。  

 地主経営の傍ら、小田原にて武家奉公人として働き、奉公先の小田原藩家老・服部十郎兵衛が金次郎の才能に目を付けます。
 巨額の借金に苦しんでいた服部は、家計立て直しを金次郎に依頼。金次郎は倹約策を進めますが、ただ節約するだけではめいるので、奉公人たちがやる気を出して働けるように創意工夫します。
 例えば、物品購入の為に奉公人を使いに出す際、金次郎が定めた額の金を渡しますが、「更に安くてよい品物を購入した場合、それはお前の成果だから、釣りはそのままもらっていい」ことにして、喜ばせたと言われます。  
 そして服部家の借金は返済され、5年間で見事家計立て直しに成功します。  
 服部は金次郎に、その成果報酬の金百両を与えようとしますが金次郎自身は受け取らず、自分のやり方についてきてくれた他の奉公人に配ってしまったといいます。
 何と気持ちのいい男なのでしょう。  

二宮尊徳 マンガ


 この服部家のことが藩主・大久保忠真の耳に入ります。藩政の改革で、身分に関係なく人材を求めていた忠真は金次郎に声を掛けます。
 しかし、身分の違いを気にする家臣たちの反発を買ったため、仕方なく忠真は、小田原藩の分家である宇津家の桜町領の復興を金次郎に命じました。
 桜町領は、小田原藩の飛地で、下野国・現在の栃木県真岡市にありました。小田原から遠く離れた土地のことなら、家臣も文句を言わないだろうと考えたのです。確かに、桜町領で成功を治めてから藩政に登用すれば、家臣も納得することでしょう。

二宮尊徳 漫画


  既に結婚して幼い子供もいた金次郎は、小田原の家を売り払い、桜町領に移住するという相当の決意を持って歩みだします。
 前述の通り、並々ならぬ努力によって再興させた生家を手放すのは、つらい事であったに違いありません。  
(つづく)


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