2014年2月21日金曜日

【二宮金次郎(2)】桜町領復興と「根っこの藤助」

 小田原藩主・大久保忠真に見いだされて、下野国の桜町領の復興を命じられた二宮金次郎。当時の桜町はどれほど荒廃していたのでしょうか。

 そもそも、元禄の分知当時は戸数は433軒でしたが、二宮が訪れた時は145軒まで減っていたといいます。
 それほど年貢の取り立ては厳しく、逃げ出す者も多かったのです。

 なぜでしょうか。
 それは、分知時の石高は四千石余りでしたが、この時の桜町の生産能力は八百石まで落ちていたと言います。しかし藩の役人は四千石の計算のままで取り立てますから、厳しくなる筈です。
 ですから、そこに住む人の心も荒れ果て、貧しくなるのも当然でしょう。220町あった農地も、120町も荒れ地を出していました。
 小田原藩としては何とか立ち直らせようと、小田原より役人と莫大な資金を投入してきましたが、ことごとく失敗していました。

 二宮は調査により、もともと痩せている土地なので、桜町をどんなに復興しても二千石までにしか戻せない旨、藩主に伝えて了解をもらい、復興最終目標二千石という無理の無いプランを立てて行くことになります。 
 ところが、土地も荒れ果てていれば、人の心も荒れた桜町でしたから、二宮の改革はそう簡単には進みませんでした。
 二宮のやり方に反発し、讒言をし、妨害をする人も少なくなく、困難を極めます。

 ただ、さすが農民出身の二宮だけあり、百姓たちの心を少しずつ捉えて復興を進めていきました。
  その、様々なエピソードの中でも有名なものを描きました。




  特に、開墾場に常陸国笠間から出稼ぎに来ていた「藤助」という老人が、力が無いながらも陰日なたなく働くので、二宮は賃金として大金を彼に渡したという逸話があります。


根っこの藤助


桜町領

根っこの藤助


 役人の目を欺こうとする者には厳しい態度で臨み、自分の精一杯でコツコツ頑張る者には多くの褒美を与えました。
 人に見せるための仕事を嫌い、心をどれだけ打ち込んで仕事をしているか、重視したのですね。

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